【音楽コラム】春になると歌いたくなる日本の名曲「さくらさくら」〜滝廉太郎「花」「荒城の月」

♪唱歌の歴史♪ より 春によく歌うあの名曲のこと

さくらさくら」または「さくら」は、伝統的な日本の歌曲です。

幕末、江戸で子供用のお箏の手ほどきの曲として作られたもので作者は不明です。
楽譜の右上の作詞作曲者の名前を書くところには日本古謡と表記される場合が多い。

もともとは「咲いた桜」という歌詞がついていたそうですが、その美しくて心に残る旋律から明治以降は歌として一般に広まり、現在の歌詞が付けられたそうです。

1888年(明治21年)に発行された東京音楽学校の「箏曲集」に記載があり、日本の代表的な歌として歌われ続けています。

「花」滝廉太郎 作曲

「花」の歌詞をわかりやすい言葉で書き換えてみると・・・・

「柔らかな日差しが降り注ぐ春の隅田川で、川をのぼったりくだったりしている船人の漕ぐ櫂のしずくがまるで花のように散っている。この眺めを何に例えたら良いのだろうか」

「見てごらん、明け方に露に光を浴びてきらきらと輝いて、私に話しかけてくるような桜の木々を。見てごらん、夕暮れ時には手のように伸ばした枝で私を招いているような青々とした柳の木を〜〜」

「美しい織物のように色どり鮮やかな長く続く土手に、日が暮れると月がのぼり、朧に霞んでいる。このひとときも千金のように価値がある、この眺めを何に例えたら良いのだろうか、いや、例えることはできないかもしれない」
3番の「朧月」のところには強弱記号のPが記されています。「くるればのぼる おぼろづき」
そこはまるで霞んでいる月のようにちょっと声のニュアンスを変化させて歌うと良いですね。

滝廉太郎(1879~1903)
彼は「花」や「箱根八里」、「お正月」など歌曲や幼稚園唱歌などの作品を多く残していますが、実は日本人で初めてピアノ独奏曲を作った人物でもあります。
「荒城の月」が発表されたのは1901年(明治34年)のこと。
当時の日本では「蛍の光」や「仰げば尊し」など、西洋音楽に日本語の歌詞を当てはめた歌曲が主流でした。
そんな中、1898年に東京音楽学校(現 東京藝術大学)から中学唱歌用の歌詞を委託された土井晩翠は「荒城月」を作詞。この詩に曲を付ける公募を行い、滝廉太郎の旋律が採用されて「荒城の月」は完成したのです。
その後ライプチヒに留学しましたが、病気になってしまい、帰国後この世をたった24歳という若さで去りました。

彼の最後の作品ピアノ曲は「憾」(うらみ)です。
この題名には「無念」とか「残念」であるという意味が込められているのではないかと思います。

アイキャッチ画像も含め、画像の撮影提供は塩見日出夫さんです。↓懐かしい足守へのバス旅行の一場面です。

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