【音楽コラム】作詞家サトウハチロー 西條八十の門を叩く

昭和28年(訂正しました)に出版された「日本児童文学全集第九巻」に
サトウハチローの自己紹介文があった。

小学校は一校だけだが中学からは関西、関東の学校めぐること8校。
その中2の頃から詩人の福士幸次郎先生と暮らし、
16歳の時に西条八十の門を叩いたと書かれている。

生まれつきのスポーツ好き。
時に怪しげな絵を描き、ギターやピアノを弾く。
彼はのちに「悲しくてやりきれない」の歌詞も書いているが
先に加藤和彦のメロディーが出来上がり、それに歌詞をつけるように頼まれたようで
ギターなどを弾くということで選ばれたようだ。
確かに、メロディーに歌詞をつけるなら音楽好きがいい。

西条八十に入門当時、
八十は不忍池のほとりの「上野倶楽部」という古いアパートメントハウスの四階で暮らしており、西条はサトウハチローのことを
「佐藤八郎という大少年くる」と記録していた。

当時の「赤い鳥」の童謡の中心は北原白秋であったが、
都会的なハチローの詩風には師匠としては西条八十の方が良かったのかもしれない。

白秋と八十では弟子の扱いが違ったそうです。
白秋は師弟のケジメの極めて厳しい人で、
弟子を一人前作家として扱うことはなかった。
八十はそうした拘りが全くない人で
若い作家でも力があると思うとどんどん登用。
あちこちに紹介するという。

サトウハチローの童謡がはじめて雑誌に載ったのは
「金の船」に載った「笹舟」
その時の名前は「佐藤八郎」

会話を交えた童謡がハチローの作品には多く、
立体的な生活の詩としてのスタイルが確立される。

その頃他の作詞家の作品にはこんな歌があります。

藤森秀夫「めえめえ児山羊」
浅原鏡村「てるてる坊主」
野口雨情「七つの子」「青い目の人形」
    「赤い靴」[[リードオルガン演奏 https://youtu.be/u1_IJHBTLBc]]
三木露風「赤とんぼ」[[80代の母とリードオルガンで歌ってみました https://youtu.be/IhqU0F4TSds]]
北原白秋「揺籠のうた」
青木存義「どんぐりころころ」
葛原しげる「夕日」
清水かつら「雀の学校」などがある。

どうですか?どれも歌えそうですね。
「童謡」や「唱歌」の本にはこれらの歌が載っています。

17歳で西条八十の門を叩き、
しかし野球に専念して雨の日だけ詩を書いて師匠にみてもらい、
18のころから、雑誌に抒情詩や童謡が掲載され、詩集も出版。

そして「少女世界」や「コドモノクニ」に童謡を連載。
27歳で浅草軽演劇に関わり、
28でポリドールの専属に。

多くの歌謡曲、また、ユーモア小説の作家としても活躍。
しかし、ずっと大事にしていた童謡から離れることはしなかったそうです。
歌謡曲が売れ、映画の主題歌も売れ、歌謡曲の作詞家として有名になったが
本人はなんとかして童謡や抒情詩だけを書いていきたいと思い
終戦後にはそれが実現したそうです。

【音楽コラム】最近の投稿