少しずつですが、リードオルガンの歴史を読んでいます。
主に、日本にどのように入ってきたか、どうやって西洋音楽が伝わったか?
などのあたりが詳しく書かれていて
「宣教師の奥さん」などが「無料で」オルガンを弾いてオルガンや西洋音楽を
広めていったというくだりがあり、そういう意味でも
現在でも演奏やその他にまつわる西洋音楽のこと(商業音楽は除く)について
ボランティア的な扱いが多いのは日本の文化的な部分の超絶な立ち遅れにあるのだな、と
妙に納得したのであります。


例えば、某交響曲などでピアノを弾いてくださる方々は
あれがね弾けるまでにまだ相当な練習をしてくださっています。
それに加えて、稽古の期間中もさらに練習を重ねる。
そして実際の練習の時に弾きにきてくれるその時間に対しての謝金はとても少ないし
交通費も駐車場の料金も全く出ない。
華やかそうな音楽の世界ですが、指導をする私たちも実は同じで
そこには「音楽では身が立てられない」という現実があります。
それが結局その「宣教師の奥さんが無料で」というところから始まっているのかな?と
なるほどなあ、と思ったわけです。特に「伴奏」の扱いはひどいものがあります。

私の家では昔から両親が「仕事ではとにかくお金についての不満は言ってはいけない」と言っておりましたがそろそろ「言わないといけない」という時期にかかってきていると思います。
そうしないと優秀な若手は全く育たないからです。自分が我慢したから、と
若手にその条件を強いるようなことは絶対したくない。
その仕事、大丈夫ですか?引き受けて大丈夫?そういうのばかり引き受けているうちに
何もできないままあっという間に10年が過ぎますよ。

生活が安定している、だけど技術的にはそうたいしてできない、そういう人しか
いなくなってしまう・・・・・
本気でやってくれる人が欲しいですよね。でも、本気にたいしてちゃんとお値段がつかないと
難しいですね。
そこらへんのところがきちんとしていかないと。

😁

この記事を書いた人

吉井 江里

岡山市で活動している吉井江里です♪合唱指揮、ピアノを弾きながらの歌の講座や合唱指導、講演やライブ等の活動中。2015年3月18日完成の映画「見えないから見えたもの」(盲目の教師、竹内昌彦先生の映画)挿入歌「点字のラブレター」や「ワルツ」を作曲。