ベイ・シティ・ローラーズと私の中学時代
中学生の頃はベイシティローラーズの「サタデーナイト」「二人だけのデート」などをラジオで聴く。レコードも買った。
最初に聴いたその瞬間からファンになった。
巷では「演奏が下手」など言われ、音楽的にはきっとビートルズなんかと比べていたのかあまり上手じゃないと大人はばかにしていたと思うのですが、そんなことはどうでもよくて私たちは彼らのファッションと音楽に夢中になった。
熱狂的、という言葉が相応しい感じで。
タータンチェックの衣装に身を包んだ彼ら。
ええ、私もタータンチェックの布を買いに走り、家庭科の宿題にはエプロンの紐や
縁取りにタータンチェックを使いました。
そして胸には缶バッジ。
覚えたての英語で、歌詞カードを手にしてレコードに合わせて歌ったものです。
中学に入って英語を勉強し始めたので英語の歌詞(彼らのはシンプルでした)で歌うのも非常に楽しくて。
それまで外国の音楽は「クラシック」と「ジャズ」以外はあまり聴いてなかったのですが、すぐにレコード屋さんへ走り、目当てのレコードを手にする。
それまでのレコードもジャケットを見て欲しくなり、何度か通ったのを覚えている。
そういう時の行動力は驚くほどのスピードとパワー。
今でこそ女子のソロ活が普通な感じになっているけれどその時は自分の欲望のままにとにかく毎日動き回っていた(笑)
当時は「レコード」と「カセットテープ」しかなく、あとは「ラジオ」が音楽を楽しむ手段でした。今の若い人がその時代に行ったらびっくりすると思いますよ。サブスクなんかないですから。もちろん、携帯電話すらないのですから。
ベイ・シティー・ローラーズが岡山へやってきた!
ある時、岡山の県体育館のステージに彼らが来るということになって、入場券を一枚ゲットしてほくそ笑んでいた。
が、学校でこんなことがあった。
「今度ベイシティーローラーズというのが来るけれど、それを見にいく予定の人は手をあげて」
と朝礼で手を挙げさせられた。
なんでそんなことを聞くのかわからないけれど隠す必要もないので手を挙げたら2人だった。
学校側は「よくないことなのでなるべく行かないように」ということを言った。
真面目な私はどうしたらいいのか?と思い悩み、母に相談したら「ついていってあげる」ということで、一緒に長蛇の列に並んだ。
体育館に入るのにとんでもない長い列ができていたからだ。
親と来ている人は少ないけれどいないことはなかったのでホッとして、ワクワクしながら並ぶ。
母は会場の外で待ってくれる予定だったけれどそこが昭和の時代のすごいところか、それとも子供がコンサートに行くことが問題になっていたのか「お母さんもどうぞ」と一緒に会場に入れることになって、もちろん席はないけれど立ち見で母も入ってコンサートを聴くことができた。
これは多分補導の方で「よくないコンサートなので非行の温床になるといけないし、乱闘があってもいけないから(プロレスか?)」ということで保護者同伴がOKになったのではないかと思うけれど母はラッキーだったと思う。
しかも「無料」
さて、コンサートは素晴らしかった。
そこにベイシティーローラーズがいるだけで、そこにレスリー(リードボーカル)がいるだけですごく嬉しい。
同じ空間に彼らがいる!とにかく嬉しい。
アンコールの曲が流れているのに彼らが姿を消したけど音声はそのまま流れていたのには
ちょっと笑った。もう歌ってないのに・・・・
リードボーカルのレスリー・マッコーエンさんが好きでした
私はリードヴォーカルのレスリー・マッコーエンさんが好きでした。
(リンクはレスリーのサイトで顔写真等も見られます)
レスリーは2021年4月にこの世を去りました。
とても悲しいけれど静かに過去のレコードを聴こうと思います。
私の青春。そして洋楽を大好きになったきっかけの彼らに感謝しながら過ごす。
久しぶりにキットカットでも食べながら♪
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BCRのその後洋楽へとハマって行ったわけですが、海外のミュージシャンの公演は地元では滅多にないですし中学生ですからね。
しかし記憶のどこかに中学時代に電車に長い時間乗って大阪のフェスティバルホールまで何かを聴きに(観に)行ったような気がするのですが何だったか思い出せないで苦しんでいます。どうして思い出せないのだろう・・・・