いつからオーケストラの演奏を、生演奏を聴いてなかっただろうか?ひょっとしたら昨年の第九以来ではないだろうか?
岡山はとても感染者が多いと思う。パーソナルスペースは広いというのに、それゆえに油断もあるのかもしれない。だから11日の会などもキャンセルになったけれど、とにかく今日はコンサートが開催されて、わたしは気をつけて聴きに行った。ほかのことはもう我慢するから、どうか今日だけは無事に行かせてください、という気持ちだった。

3月から数えて、仕事と買い物以外の外出のほんのわずかな回のうちの一回となった。ほんとうによく家で過ごしているなあ・・・・・驚く。
今日はもともとは「第九」の日だったので、行かないわけにはいかない。でも、不安はあった。
席は工夫してチョイスしたら、前も後ろも隣も、いや、わたしのいるところはバルコニーでまわりにはまったく人がいなくて良い感じだったと思う。わたしはまだ隣に人がいる、という距離感には違和感がある。

ベートーヴェンの交響曲の5番。わたしたちは今このパンデミックの渦中にあるのは運命なのかもしれない。7番もよかったけど、5番「運命」は体中の細胞が、繊毛がずっとぺしゃんこになっていたのにふわっと蘇ったと感じた。それは特にとてもとても長いじわじわとしたcrescendoの部分と、それによってあのホールのビルを突き抜けるようなまっすぐな音楽の昇龍のような、あの瞬間で、この長い10ヶ月ほどの苦難が一瞬でなかったことにされたような(なくならないけど)、そんな気持ちの消化をおぼえた。
7番はしっかり聴き込んで行ったけど、5番は準備をせずに行った。でも、長年、聴いてきたこの曲にあらためて魅了された。こんなに、こんなに胸にダイレクトに飛び込んできて、指揮の川瀬さんのパッションがそのまま音になった、そんな感じ。ああ、彼のタクトで第九を歌いたかった。どうかこの先、彼をまた岡山にお呼びしてください。冷静ではない彼の心のざわめきと、それでも進む、指揮が印象に残った。

それから、各楽器のみなさんの音が素晴らしかったですね。特にフルートや他の木管とティンパ二。また、弦楽器もそれぞれに「おおお!」と思う部分、あの深くてなめらかな音、丸い岩がごろごろところがるようなチェロやコンバス。金管もまっすぐにこちらに飛んできて

やっぱり「生演奏にまさるものなし」です。
それぞれにオケのメンバーも大変だった1年だと思いますが、1日も早く普通に演奏会のスケジュールでいっぱいになる日を楽しみにしています。

しばらくもうちょっと家でゆっくりいたします。感染がこわい、ではなく、どちらかというとわたしのインドア志望は(笑)もともとのようです。それと、仕事に出かけたときに人にうつさないためでもあります。
年末年始もお家でぬくぬくと・・・・ね。先の楽しみを夢見て。

この記事を書いた人

吉井 江里

岡山市で活動している吉井江里です♪合唱指揮、ピアノを弾きながらの歌の講座や合唱指導、講演やライブ等の活動中。2015年3月18日完成の映画「見えないから見えたもの」(盲目の教師、竹内昌彦先生の映画)挿入歌「点字のラブレター」や「ワルツ」を作曲。