国立(くにたち)音楽大学に在学中、わたしたちは合唱を将来教える人になるような学科にいたから必修だったと思うけど「グレゴリオ聖歌」を履修。
なんとあの「高田三郎」先生の授業を受けることができた。このことは前にも何かに書いたので詳しいことはあらためて書かないけど、まあとにかくすごい授業だった。
絶対に喋ってはダメ。真剣に聞かないと先生の怒りの沸点へのスピードはすごくてとても強く怒られてしまう。
軽い夕食の後にピアノ室に籠もった。
モーツァルトの幻想曲とリストの数曲。それからオルガンなどを弾いて、そのあとで片付けている。
これね、もう何かに取り憑かれたように片付けをしている。
それは「今回のこの感染の騒動で自分もひょっとしたら感染してしまうかもしれないので片付けないといけない。これはもう使うこともないだろうな・・・・ああ、これは懐かしい・・・・」という感じ。本気です。
追い詰められているのかもしれない。
あまりにも片付けが悲壮感いっぱいになるのでジャズをかけながら気分を上げている。
そんな中でその学生時代のグレゴリオ聖歌の楽譜が出てきて、ああ、高田先生のあの指揮やマイクを持ったお姿が頭の中で再生される!とてもしあわせな気分になる。
そして、授業中は喋ってはならなかったので友人との筆談が楽譜にのこっていた。
「おなかすいた〜〜〜」「はよたべたい〜〜〜〜」とか
こんなのも。何か笑える。ほかにも書かれている。グレゴリオ聖歌の楽譜にだ・・・
「一年前のあの日。わたしがいなかったら・・・・・・」
「だから今指の毛、きれいにとってんの」????
などなど。授業中はおしゃべりは決してできないので最小限の動きで互いの楽譜に会話を書き込んでいたようです。
2度とないあの学生の時の時間。楽譜が一冊出てくるだけで思い出が蘇ってきますね。
高田三郎先生作曲の「水のいのち」を高校生の時にはじめて歌いました。歌い終わった時に、下がった緞帳の向こうで私たちは泣いていました。感動して。