今から数年前のある夏の夕方、フェリーに乗って高松から岡山に帰ってきていたとき携帯電話が鳴った。
ある声楽家からの電話で
「来週のオペラの稽古でピアニストがいない。代わりに来て欲しい」
という内容。
きっと「譜読みが早いようだからこの人だったらなんとかしてくれるだろう」という気持ちで連絡してくれたと思う。
私も深く考えずに「いいですよ」と答えてしまった。
やめとけばよかった。今でも思う。
一週間でなんとなくざっと弾ける種類のオペラなら(よく知っていれば)
ないことはない。
次の和音への展開なども多少は予想がつくタイプの作曲家もいる。
しかし、この作品は現代に限りなく近いもの。
難しい。そして耳慣れていないのだ。
楽譜を受け取ってから困ったなぁと思いながらも
引き受けたからには私なりに全力でかかった。
その一週間はかなり時間をかけて練習した。
でも、あまり進まない。
その上、オペラの稽古というものは、指揮者も演出家もいる訳で
確かこの時は荒く通したように思う。
できるだけのことはしたが、どうにもならないけど、断る訳にもいかないので
(一度引き受けたら)会場に行った。
でも本当にどうにもならなかった。恥ずかしく辛いだけの経験で
今でもそこを通る機会があると、気分が悪くなってしまう。小心者である。
稽古が始まると案の定、指揮者の機嫌がどんどん悪くなる。
演出家もため息をつく。
歌い手はうまく歌えなくなる。
そう、完全にピアノが邪魔になってしまった。
おまけに当日譜めくりをしてくれた面識のない声楽家には
「指揮をちっとも見てない」(見られるわけがない)
「全然だめ」とこっぴどくやられた。
どうしてここまであなたに言われないといけないのか?
と思うぐらい、全力での否定。
でも、その後合唱指揮や副指揮としてオペラのスタッフの仕事もしたので
今はその気持ちもわかる。
あちらにとっては「一週間でなんとか譜読みをして来た」「急ごしらえである」
という事情など関係ないのだ。
要するに、その場にいるということは、できないといけない。
ほんの少しの額であっても(ここは強調したい)金銭が発生しているのだから。
伴奏が好きでも、オペラは違う。オペラの稽古ピアニストやコレペティは
勉強の仕方も、現場でのやり方も違う。
それならそれなりの訓練が必要なのだ。準備も経験も必要。
仕事が欲しくても、なんでも引き受けてはいけないのだ。
そういう意味では私には失敗がたくさんある。
今は慎重だ。
でも、失敗や苦い経験は決して無駄にはならないと感じてる。