我が家の場合、文化的な、芸術的なことを
その情報を得て、観て、聴いて
ということと、私の仕事のことと
この25年ほどは特に岡山シンフォニーホールの
存在はとても大きかった。
開館した年はとある合唱団の定期演奏会のピアノを
担当して、最初から最後まで弾いた。
その後も合唱を指揮したりピアノを弾いていたけれど
最初に大きなことに関わったのは2001年のオペレッタ。
安達祐実さん主演で服部克幸さん隆之さんの音楽。
何しろあの頃は日本はもうちょっとリッチだったと思う。
だから、本番までの稽古も贅沢だった。
衣装も合唱団員であっても体に合わせて縫ってもらえた。
いくつかの楽屋の部屋が衣装を作る部屋になり
ミシンが置かれていた。
音楽は岡山フィルハーモニック管弦楽団だが
その楽譜ができていく、そしてそれを合唱やソロの人に
おろしていく、モニターを見ながら指揮者に合わせて指揮を
脚立に上がって振る、とか
とにかくリハーサルが多かったけれど
贅沢なやり方だった。
そして、食事も豪華だった。
でも、中央から来た演出関係者などは
怒鳴る。挨拶をされても返さない、など
あの頃は何かを勘違いした人が多かった。
地方の隅々まで、文化的なことを好きで
そうやって一般参加で来てくれる人は
お客様でもある。文化を支えてくれている。
もちろん厳しさがあるのはいいことだけど
言われのないことで、特に間に立った私は
どうしてそこまで?と思うほど
メタメタにやられた。
それはのちのオペラでも。
今なら喧嘩できるんだが、若かった。
そして女ということが当時は攻撃の的になりやすかった。
文化を支えてくれているのは
指導する人やお金を出す人だけではなく
お客様の力は大きい。
そしてその企画の末端の方で
縁の下の力持ちのように支えてくれる
多数の手と心があるから成り立っているんよね。
ホールが改修に入って、ホールの仕事は
他へ移り、動きを止めないで続けさせていただいている。
今週は来年の秋までの予定も決まった。
本当にありがたいこと。
頑張って生きないといけない。
年齢が高めの人たちにとって
この地の「文化芸術」に興味ある人にとって
このホールの2年の修復の期間が待ち遠しいと思う。
でも、あと1年を切ったんだわ。
うちの母も「一人でタクシーでパッと乗りつけてホールへいける」
唯一の場所。
そんなことが早く戻ってほしい。
できなくなる前に。
たくさんの人を見送った。
一緒に歌い、一緒に過ごした人たちを
ここ5〜6年で見送ったり、会えなくなったり。
寂しいけれど、命がまだ尽きてない人には
また会えるかもしれないし
時々思い出している。
また会えますように。
もし会えなくても、私は覚えているから。
笑顔も、交わした言葉も結構覚えています。
ほぼ全部。
6月6日の「復活」公演には
合唱で参加予定です。
練習はごく少ない。
でも、それだから参加できるので
楽しみにしています。
今週もブラヴォー岡フィル
30分。出演します。
よろしかったら聴いてくださいね。
私は今週はラジオでは聞けないので
ラジコで後から聞こうと思います。
楽しみです。

