中学生の頃はテニス部でした。軟式庭球です。あの頃は中学のほとんどは軟式だったと思う。小学校の頃は水泳が好きで夏休みには特訓を受けて記録会へ。中学でもなんの疑いもなくスポーツ部へ入ったんですが(文化部という選択肢はあまりなかったし合唱部がなくて)そこが怖いところだった・・・・先輩後輩のあれはほとんどいじめに近いもので、2年まで頑張ってある日突然「先生、私は受験に専念します。音楽の方の学校へ行くので」と職員室で顧問らしき(一度も来たことない)数学の先生に退部届を出した。

その後大学でスポーツを何かとらないといけなかったので1年はアーチェリー。2年はテニス。3年はダンスを希望。実はそんなに3年もやらなくても良かったのだが、1年のアーチェリーの単位を落としてしまった。一つはピアノの担当の先生に非常に怒られたことが原因。「あなた、手を使うのにそんなものをしてはダメでしょう!」と強く強く怒られた。言ったことを後悔した。格好いいからやってみたかった。ただそれだけなのに。音大のスポーツの授業なんてそんな大したことない・・・・と思ってたけれど、ちゃんとアーチェリー場はあった。ただ、学内があまりにも広くて、途中までは自転車で行けるけれどその後は徒歩で地下道を降りてひたすら走るところにあったため、月曜の一限は無理だった・・・・

テニスは楽しかった。しかし、軟式経験者はちょっとラケットの振り方や力加減が違うので「ホームラン」が多い。試験は「先生があちらからボールを打ってくれて、それを打ち返して枠内に入る。それが何度かできたら合格」という素晴らしいものだった。

先生のそのボールは「最大級の打ちやすい愛がこもったもの」であり、難なくクリア。

三年のダンスはなんと、追試!振りがおぼえられない。あんなに週に3回ほどディスコに通っているのに、先生のいうステップとか振りが覚えられなくて思考停止。完全停止。

優しい教授と追試験。やはり「なんとか単位を取らせてやりたい」という「愛情」を感じ、真剣に臨んで合格。

自由に踊るのは好きだけど、できないことってあるのよね・・・・と自分に言い聞かせて、その夜も新宿まで踊りに行った。

あとは学生時代はもっぱらサーフィン。あの立川で、海にとても遠いところに住んでいてサーフィンができたのは当時の友達のおかげです。続く。

この記事を書いた人

吉井 江里

岡山市で活動している吉井江里です♪合唱指揮、ピアノを弾きながらの歌の講座や合唱指導、講演やライブ等の活動中。2015年3月18日完成の映画「見えないから見えたもの」(盲目の教師、竹内昌彦先生の映画)挿入歌「点字のラブレター」や「ワルツ」を作曲。