昨年の今頃も緊急事態宣言その他でゆっくりと過ごして、主に私は「動画を撮ること」と「整理」をしていました。3年前に亡くなった家族の道具がとんでもない数で、それにかなりの時間とお金を費やしました。
それでもまだある・・・・使えるものは勿体無いので・・・と思ったけれど、自分にとって必要でないものについては容赦無く手放して。


その時に思ったのが、晩年にウクレレのチームを組んでボランティアなどに行った時の道具がとにかく多い。「こんなに?」と思うほどお金をかけて、手間をかけてする必要があったのだろうか?歌詞カードや自分で作った歌集なども山のようにある。

みんなで行くその機材をなぜ自分で、自費で用意したのか?それがとてもスッキリしない。マイクも10本以上ある。もちろん私も使うことができるのですが、素人の高齢者が持つ量ではない。
マイクがあればスタンドもある、アンプにコードとなんだこれは?状態でした。
この点についてはとにかく「LINE」で文句を送り続けています。既読にならないのですが。

もっとお金の使い道があったと思う・・・・・・

とにかくものは増やさないようにしましょう(笑)

ふと思い出す過去のこと。2011年ごろはいろいろ模索していた。
ある人の紹介で 教室をシェアすることになってしばらくそこを借りていた。
そのあたりは喫茶「東京」もすぐ側で 今通っているお寺さん(合唱練習)もすぐ側。
私は城下と田町にはなんとなくご縁があるような気がする。

教室をシェアというのは 今考えると私にはとても無理なことだったと思うし 今なら絶対にしない。
そのほかにはセレモニー関連の仕事を紹介してくださった方もいた。
ご紹介だけで、社長さんに会うことはなかったけれど。 どちらも結局ボツになったのだが できることとできないことがあるし できないならはっきり言わないといけない。ということを学んだ。

経験とは決して無駄なことではないわけで 10年ぐらい前のことだけど 遠い遠い昔のような気がする。

長く続くご縁もあれば それらのように一瞬で泡のように消えてしまう縁もある。
それはしょうがないんでしょうね。

もうすぐ食パンが焼けるので(ホームベーカリー)食べてから好きなことをしようと思います💓今日は本当なら岡大へ行く予定でした。行事が取りやめになったので家でゆっくり。

この記事を書いた人

吉井 江里

岡山市で活動している吉井江里です♪合唱指揮、ピアノを弾きながらの歌の講座や合唱指導、講演やライブ等の活動中。2015年3月18日完成の映画「見えないから見えたもの」(盲目の教師、竹内昌彦先生の映画)挿入歌「点字のラブレター」や「ワルツ」を作曲。