お彼岸ですが今日は予定していたお墓参りを取りやめ。足元が悪い中二つのお墓に行くのは気分的にも物理的にもしんどいのでお彼岸のうちに行けそうなので別日に。

かわりに仏壇を綺麗に拭いたりしようと思うのだが、紙物の片付けを続けてやる。
その中にコロナ禍では私は音楽以外のいくつかの講座などを受講して、その資料などもあって久しぶりに見てみた。
時間のこと。オーガナイズする講座は一回単発でしたが非常に良い内容で、その時の資料の中に自分の生活の中でこれだけは譲れないものから手放したいものまでを付箋で貼っていくワークがあって、その時に書いた希望通りにことが進んでいるような気がする。

自分にとって大事なものは何か?もう手放したいものは何か?それが可視化できて実行に移せたというのはこの一年の大きな成果であり、変化だった。


一年前にコロナのことがはっきりしてきて生活や仕事がストップしたけれど、そのわずか一ヶ月前にはコロナは気配はすれど人ごとだった。よその国で起こっていることで日本はそこまでのことにはならないのでは?と勝手に思っていて、その時の生活の様子と今では全然違う。

たくさん失ったけれどそれ以上に蘇った部分もあり、それほど「忙しい」ということは身を、心を滅ぼすことだったと実感。疲れが溜まっていたと思う。


ボランティア精神が必要とされるシーン。それなのに技術的にも労働としても時間も多くを求められ、常に心配事が山積みなる仕事ってやっぱり心身に良くない。あのまま行ってたら・・・・恐ろしい。
名誉とか実績より今の健康のほうが大事だ。健康がないと先はない。それはやはり大事なことだけど自由業の場合「断れない」こともある。でも「断っていいんだよ」ということがわかった。
(編集しました😁)

コロナのことでストップする一ヶ月半ほど前になんとなくですが整理をした。それは借りていた仕事場を解約。疲れるので仕事の合間にそこで休んでいたのです。時間が中途半端に空く時も利用。それからそこのネット環境や光熱費。それから自分自身にかかる携帯会社その他の経費のシェイプなど。そこで一度金銭的なことを大きく縮小へと変化させていたのがとても助かった。勘がいいかもしれない。

紙物を片付けていると過去のブログのプリントアウトしたものも出てきて、それは2010年ごろですが懐かしい。そういうのを観ながらその紙もデジタル化して紙を捨てていこう。

この記事を書いた人

吉井 江里

岡山市で活動している吉井江里です♪合唱指揮、ピアノを弾きながらの歌の講座や合唱指導、講演やライブ等の活動中。2015年3月18日完成の映画「見えないから見えたもの」(盲目の教師、竹内昌彦先生の映画)挿入歌「点字のラブレター」や「ワルツ」を作曲。