大人になってから、先生という職業になってからもレッスンに通った。音楽の世界では当たり前のことなのですが言うとびっくりされることがある。
学生終了から一年も経たないうちにご縁があって教えてもらうようになった先生はとても美しく、やさしく、でも音楽についてはきっぱりはっきりしていてとても実力があって天使のような人だった(ようするに完璧)

はじめて会った時先生は猫を連れて来ていた。子猫をきんちゃく袋に入れて。
大きな目をした先生は女優です!って言っても通じるぐらい美しく、声も高くて透明だった。
たくさん話をした。たくさん教えていただいた。

どんな時代のどんな曲を持っていっても的確なアドバイスをくれた。
ステージで弾くものはすべてみていただいた。舞台上で映える音作りを先生に習った。

先生はいい音が出ると「そう、そうです。その音」と力いっぱいほめてくれた。

今のところゾクゾクとした。とてもよかった」と声に出してほめてくれた。

あなたにはそれは無理ですよ、とは言わずに、なんとかできるように根気よく導いてくださった。

実は一緒にスポーツクラブに通ったことがあった。ピアノの先生は午前中が比較的自由になるので練習してることが多いけど体力作りも必要だと私たちは考えた。レオタードにレッグウォーマー。あの頃はハイレグでしてね、その下にキラキラ光るタイツを履くのだ。シューズに手首につける重り。
ストレッチ、エアロビのレッスン後はプールに。シャワーを浴びて髪を乾かして帰る。
お互いに長くは続かなかったのがわたしたちらしい感じ。

そのうちに私は結婚して出産してなかなか先生のレッスンを受けに行けなくなった。

行っても練習ができてなくて、「先生ぜんぜん弾けません」と言うとメロンを冷蔵庫から取り出して包丁でバーンと半分に切って「食べよう!」と大きなスプーンを渡してくれた。
全然違う話をして落ち着いてからレッスンしたら心がスッとしてピアノに向かうと心が癒された。

子供達が大きくなって仕事が忙しくなってしまいまた行けなくなった。それでも仕事の場で人が必要な時に先生の生徒さんたちを紹介していただいたり、時には手紙やファックスでの会話もできた。

でもここ近年はレッスンに行くことも連絡をとることもまったくしてなくて、ご病気になられたことをなんとなく聞いていたが
共通の知り合いから先生が一人暮らしの部屋で一人ぼっちで亡くなられたことを聞いた。

ショックだった。信じられなかった。そんなことってあるのか・・・・

お身内だけでご葬儀を済まされ、門下生だけの集まりもあったそうだが私は行かなかった。そういう集まりには参加せずソロ活動(集団行動ができない)が多い私はいい生徒じゃなかったかもしれないなあ。

先生が時折弾いてくださるお手本がまだ耳に残っている。

ちょっとそちらにいくのが早すぎたのではないですか?先生。

でも先生が一番びっくりされているかもしれない
「もっと音楽したかった」ときっと思ってる。それを思うと心がぎゅっとなる。


先生にもっと会っておけばよかった。
お世話になった方々がどんどんいなくなってしまう。それもあまり年齢を重ねないうちに。寂しい。

この記事を書いた人

吉井 江里

岡山市で活動している吉井江里です♪合唱指揮、ピアノを弾きながらの歌の講座や合唱指導、講演やライブ等の活動中。2015年3月18日完成の映画「見えないから見えたもの」(盲目の教師、竹内昌彦先生の映画)挿入歌「点字のラブレター」や「ワルツ」を作曲。