その建物ができた時私は33歳でした。すでに一つ合唱団の指導を10年ちょっと担当していてその後「もう一つ合唱団を作りたい」という皆さんで新しい合唱団を作って26年指導。この団はとにかく頑張って衣装をたくさん作って華やかなことをいっぱいして楽しみ、もう来られなくなった皆さんもギリギリまで合唱を楽しんでくださって、そしてコロナがやってきて少し休んだり色々しながら待って、今度は斉唱のクラブに生まれ変わりました。
その33歳の時にちょうどY先生が「合唱指揮の勉強をしよう。先生をお呼びして指揮を本格的に」と誘ってくださいました。それから10年以上かな、先生が毎月来てくださって合唱と指揮のレッスンを受けました。レッスンでは手が震えるし、冷や汗をかきながらでした。やっとの思いでついていく感じでしたが練習や研究をしていくうちにレパートリーも増え、手も震えなくなりました。たくさんの宗教曲を学べたのが私の財産となりました。大学では「合唱専門」のような学科に行ったのですが今思うとそうでもなかったです。音楽大学では意外ではありますが自分で選んで積極的に学んでいかないと何も得られません。
33歳の頃は「頑張っても岡山では全くチャンスがなくて・・・」と後ろ向きでした。年上の先生方の厚い層がどっしりと頭上にあるので(失礼します)なかなかチャンスがない。
でも諦めずに努力したらチャンスはどんどん目の前に。でも、それは手を伸ばさないといけない場所にあって、その手を伸ばすということが良かったかどうかわかりません。
それでまあそういう経過もずっと見ていてくれた人たち、家族も含めてですが、昨日は金曜の練習の後みんなで食事に行き、たわいもない話をしながら楽しく過ごしました。母も一緒でしたが非常に表情が豊かになり、こういう時間はやっぱり大事だと実感。やっと昨年の9月からの緊急搬送からの諸々から解放されたような気がします。
皆さんに元気でいてほしい。こうして楽しい時間をできるだけ長く過ごしてほしいなど感じながらその時間を私も楽しく過ごしました。感謝です。