「好き勝手に演奏する」のと「自由自在に演奏する」の違い

Twitterを見ているとこんな感じのことを書いた投稿があった。(文章を少し編集しています) 

「ピアノで自由自在に好きな旋律が弾ける」ためには基礎的なパターンを身につける必要があり、 それをマスターする過程においてそれを習得するためには「不自由さ」を伴う。

「好き勝手に弾く」のと「自由自在に弾く」のは全く次元が違う。 自由に弾けたとしても きちんとした基礎的なことや自分にとって必要な練習を欠かすと スカスカな感じになる。 理論もそう。
 小難しいことを避けているばかりでは自信を持って演奏はできないと思う。 だからコツコツやるしかない。 ・・・・・・・・・ 

先日ある方と電話で 「アカデミックな内容もいいよね・・・・云々」の話になった。
やっぱりそういう部分に触れないでただ楽しいだけの内容では物足りないね、 という話。
私もそう思う。 そのあたりのさじ加減って難しいのですが。

指導している合唱団はいくつかありますが、そういう意味では選曲には工夫が必要です。
長くかかわっているともちろんですが合唱団のメンバーも年齢が高くなっていきます。
「もうむずかしいことはしたくないなあ」という声もあり、それでも40代の方も参加されているので考えないといけません。

「新しい曲を学習する充実感」も必要です。

この世に生まれた楽曲の全部を知ることはできないですが、いい曲がたくさんあるのでたくさん知って、一緒に歌いたい、と思っています。

デジタルではない部分で。音楽の練習は非常にアナログ。

かまぼこを切っていて思いました。 私たちの小学生の頃は「命札」といって、かまぼこの板に名前を書いたものを持って プールの授業を受けました。(岡山だけかもしれません・・・・) みんながプールから上がってもしも「命札」だけで本人がいなければ それはプールから上がってきていない=おぼれている ということになるからと教えられてずっとやっていましたが 実はとても確実な確認の方法だと思うのです。

 音楽の習得には時間もお金もかかり コツコツやるしかない。 努力と時間が勝負。 とても原始的です。
でも、そういうものも残っていていい。 こんなに便利になってもやっぱり人間の能力を高めてくれるものは大事。 そういうもののひとつだと思う。

コロナで何か落ち着かない今だからこそお稽古に励みましょう。 歌はいいですよ。 作品はできないし 材料もいらない。 でも熱心に学ぶ経過での心の充実は素晴らしいのです。 もちろんピアノなどの楽器もです。

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