【音楽コラム】空をながめてみんな泣こう・・・『てるてる坊主』(追記あり) 

雨に関する曲はたくさんある。「あめふり」 「雨降りお月さん」  「雨」
ピアノでは「雨だれのエチュード」「雨の音」etc…………………

雨に関する曲で日本の大正時代に活躍した「中山晋平」がはじめて作曲した童謡「てるてる坊主」について詳しく書いてみようと思います。

「てるてる坊主」の作曲家中山晋平について

中山晋平は小学校の教員だった。その一方で島村抱月、松井須磨子の劇団「芸術座」に参加しており、その劇中歌の「カチューシャの唄」 「ゴンドラの歌」が大ヒット。

「カチューシャの唄」は1914年に発表された日本の歌謡曲。作詞は島村抱月と相馬御風で
劇団芸術座の第3回目の公演である『復活』の劇中歌として、主演女優の松井須磨子などが歌唱した。

晋平はその当時、「童謡」の作曲依頼は断っており、しばらく経って(1922年以降ぐらい)やっと「童謡」の作曲を開始。後世に残る作品を多く書いている。

「しゃぼん玉」「あの町この町」「肩たたき」などの数々の童謡を世に送ったが、はじめて作った童謡は「てるてる坊主」で、その頃中山晋平はまだ浅草の小学校の教員だった。

東京音楽学校(現在の東京芸術大学)に入学するために通っていた予備校で「梁田貞」(やなたただし)と出会い、彼を島村抱月の公演のために推薦。あの「城ヶ島の雨」を梁田が作曲し大ヒットした。

1921年には流行歌「船頭小唄」を野口雨情が作詞、依頼を受けて晋平が作曲しているが、童謡の作曲は断っていたらしく、あの「七つの子」や「赤い靴」などの作品では作詞は雨情、作曲は晋平が紹介した「本居長世」(もとおりながよ)が担当している。
その後やっと童謡を作曲するようになった晋平と雨情のコンビは「黄金虫」(こがねむし)を発表している。

空を見上げてみんな泣こう まぼろしの1番

今残っている歌詞は(わたしたちが普段歌っているのは)1番から3番で

1番は「もし晴れたら金の鈴をあげる」

2番は「私の願いを聞いてくれたらあまいお酒をたんとのませてあげる」

3番は「それでも曇って空が泣いているならそなたの首を切ってしまうぞ」

という内容で、3番を歌うと歌ったあとで皆から笑いのようなどよめきのような

声が聞こえる。その上行していくメロディー「そなたの首を」と「ちょんと切る」でぐっと下がっていくところがこわい!

しかし実は詩も曲も少し改められて掲載されたようで実は最初は歌詞が4番まであったそうだ。

1番が「もしも曇って泣いてたら 空をながめて みんな泣こう」という歌詞だったそうです。

もしも全部を歌うとその印象は随分変わってくると思うのだ。

岡山市北区丸の内に現役バリバリの大正時代からの建物がある

「童謡」といえば「大正」

岡山禁酒会館」は大正12年に建てられた洋館で、現在は一階はカフェ。二階はギャラリーや集会室や会議室、三階は事務所がいくつかある建物。
実は私はこの建物の二階の集会室でいくつかの講座を担当しています。
大正12年は西暦では1923年。上記のいくつかの歌が作られた頃でもあります。
この大正浪漫溢れる禁酒会館の内部をご案内します。

つづく

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