【音楽コラム】詩 北原白秋 曲 梁田貞『城ヶ島の雨』

「城ヶ島の雨」    楽曲解説
一般的にすぐ口から出てくるメロディーとしては梁田貞(やなたただし)の作曲のものが有名だが他にも数人の作曲家が曲をつけている。
山田耕筰、橋本国彦、高田三九郎、小村三千三によって次々と曲が付けられた魅力ある歌詞。

Kさんより

城ヶ島の雨の利休鼠という言葉が好きです。北原白秋さんについて知りたいです

「城ヶ島の雨」の作詞は北原白秋(1885年生まれ1942年没)
有名な作品は数多くありますが、歌の歌詞として有名なものには下記の歌があります。
色がピンクで下線がついた曲名をクリックすると音を聞くことができます。(徐々に音源をアップしていきます)
オルガン、あるいはピアノで、歌詞がついたものもあります。
この道
からたちの花
・ペチカ
・待ちぼうけ
・ゆりかごの歌
あめふり(あめあめふれふれ母さんが・・・・)
・雨
砂山(中山晋平作曲)・砂山(山田耕筰作曲)
曼珠沙華
・あわて床屋
・赤い鳥小鳥
ちんちん千鳥
すかんぽの咲く頃
・かやの木山の
・里ごころ
赤とんぼ
実は若くして詩壇で既に地位を確立していた北原白秋には挫折を味わうようなある出来事があり、憔悴しきった彼は1913年(大正2年)の年明け早々に神奈川県三浦市(三浦三崎)に滞在していた漢学者を訪ね自殺を思いとどまる。

三浦三崎で新しい生活を始めた白秋に島村抱月や松井須磨子らが結成した「芸術座」から「10月に主催する音楽会のために舟歌を作ってほしい」と依頼があり、そこで手がけたのが「城ヶ島の雨」でした。
北原白秋は三崎地方の方言を調べながら歩きました。目の前を過ぎてゆく漁船を観察しながらじっくりと構想を練る白秋。
10月30日の演奏会のための作詞でしたが、出来上がったのは27日・・・・

5ヶ月かかって一生懸命調べて考えた苦労が偲ばれますね。
家庭不和も原因で創作活動がスムーズに進まなかったのでは?と言われています。

10月30日に芸術座で音楽会が開かれると言うのに作曲の梁田のもとに届いたのは10月28日、、、、
今のようにメールもファックスも存在しまい。すぐには届かない。
じっくりと構想を練るような時間はなく梁田は29日の午後9時から4時間で曲を書き上げた。そして伴奏もその後で書木、徹夜明けで迎えた本番。
梁田は当時東京音楽学校の研究科声楽部の学生であったので自らが舞台に立ち曲を披露した。ピアニストとは少しの合わせをしただけだった。曲を書いて実演した柳田も素晴らしいが、
(その時譜面通り弾いたかはどうかわからないが)あの難しい曲の伴奏を舞台で短期間しか準備の時間がなかったのに関わらず弾いたピアニストのことも気になる。
相当な腕の持ち主だったのではないでしょうか?

なお、梁田貞の作品には、「どんぐりころころ」「とんび」などがあります。

⭐️利休鼠(りきゅうねず、りきゅうねずみ)とは緑色がかった灰色。
白秋の色彩へのこだわりが感じられる。
江戸時代後期の「四十八茶百鼠」と呼ばれる流行色の一つ。
名の由来としては「地味で控えめな色彩であることから、侘びた色として侘茶を大成させた利休を連想した。」「地味で品のある色合いから、利休好みの色と想像された。」「抹茶のような緑から利休を連想した。」などの説がある。
⭐️「ええ 舟は魯でやる」の「ええ」は、強調ことば。
「濡れて帆あげたぬしの舟」の「ぬし」、は「おぬし」の意味。


歌うのはとても難しいですが、この曲を好きな人も多い。ぜひ伴奏に合わせて歌ってみてください。


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