「風の中の子供たち」という舞台で歌唱指導を担当したのが初めての舞台に関する音楽指導でした。
その後、15年ほど舞台に関わっていましたが3年前の三月でミュージカルの指導関連の仕事は引退しました。


ミュージカルや舞台の指導についてのきっかけは、 ある日 恩師から電話がかかってきたところから始まりました。
それまでピアノを教えること、舞台やパーティーなどでピアノを弾くこと 合唱団の指導と発表の指揮などを仕事としていたのですが
先生から「坪田譲治の舞台があるから指導スタッフに入ってみないか」と言われたのです。
もちろん先生も一緒にスタッフとしてご参加で、私はピアノも弾くし、子供達の歌を担当。

その企画は「パフォーミングアーツ」というもので
岡山市の芸術祭メーン企画。
坪田譲治の作品に新しく作曲の松井先生が曲を書き 子供達が歌い、演じる。

オーディションを行う前に指導スタッフや演出家、脚本家などが集まった。
そこで出会った先生方にものちにとてもお世話に。

オーディションにはとても多くの子供が集まりました。
100人は簡単に超え 結局は二回公演でキャストもダブルだったと記憶している。
この仕事で舞台に立つ人たちを指導して袖から舞台へ送り込むというようなことをはじめて担当した。

そして 私はこわくて厳しい先生だったのです。

今とは違い、その頃は一般に募集をかけると大人でも子供でも100人を超える応募があった。
もちろんオーディションで全員の歌やセリフをみる。ダンスも。


今からもう20年も前にオーディションは 市役所の7階のホールや会議室で行われた。
その時に出会ったダンスの先生にも随分お世話になって その後のミュージカル関連の仕事を紹介していただいた。
もちろん、脚本の先生にも、演出の先生にも 鼓の先生にもその後随分と助けていただいた。


仕事の現場で出会ったそれぞれの分野のプロの人は 一緒に働く人をよくみている。
わたしも他のシーンでお願い事があるときにはそういう場所で出会った 一緒に仕事をした人に頼むことが多い。

その舞台の指導は1999年。 週に2回の夜の稽古。
週末にも稽古があった。


この「風の中の子供たち」はとても贅沢なものだった。何が?というと この舞台のために曲が書き下ろされるということ。
そしてその伴奏もリアルタイムでエレクトーンで行われるということ。
もちろん歌詞は「坪田譲治」素晴らしいのだ。

曲は最初は一曲しかできていなかった。


指導する私のもとに先生からファックスで曲の譜面が届き・・・・ ということを繰り返してかたちになっていく。

曲の仕上がりは一度にではなく、ちょっとずつ送られてきて 全部が揃うまでにはかなりかかったと記憶している。


要するに子供たちはできたてほやほやの曲を歌っていくという 大変贅沢な経験ができるというもので その当時少年少女合唱団の指導をしていたか?どうたったか?忘れたけど 少年少女合唱団の合唱をする子供たちとはまた違った魅力があった。

この記事を書いた人

吉井 江里

岡山市で活動している吉井江里です♪合唱指揮、ピアノを弾きながらの歌の講座や合唱指導、講演やライブ等の活動中。2015年3月18日完成の映画「見えないから見えたもの」(盲目の教師、竹内昌彦先生の映画)挿入歌「点字のラブレター」や「ワルツ」を作曲。