今年は2月から完全にペースが崩れてあれよあれよという間に9月。何もできないままにあと4ヶ月で今年が終わる。
ゆっくりできたのはよかった。本当によかった。
でも、どうだろう?高齢者であるうちの母などは先があまり長くないので、この半年の不自由さがなんとなく気の毒になってきた。きちんとじっとしていたけど、じっとしていなくて通常通り動いていて果たして罹患したかどうか?
おそろしい、おそろしい、とじっとしていたことは長い人生の最後の方の大事な時間をただじっとしていることや恐れや不安の気持ちで過ごさねばならなかったのでは?
それはなんだか・・・・・

コロナに罹ってしまった人への誹謗中傷やいろんなことで人間の本質というものが剥き出しになったかもしれない。私はもしも隣の家の人がコロナに罹っても別になんとも思わないんだけど・・・・

あるところで読んだ内容ですが(少し文章を自分なりにアレンジしてみます)

「不安や恐れに押し潰されそうなときは自分のまわりを見回して
いま、自分にできることを探す。
掃除、ゴミ捨て、買い物・・・・・小さなことでかまわないので
自分を忘れて動くと力が生まれてくる」

淡々と毎日のことをする。それしかない。

私は気をつけながらですが
前に進みたいです。

秋冬はこわいよ・・・・とまた閉じこもるような心ではなく
こわくなったら回避しようって感じです。

庭のアシナガバチの巣を駆除してもらいました。これで心気なく庭仕事に励めますねえ。

この記事を書いた人

吉井 江里

岡山市で活動している吉井江里です♪合唱指揮、ピアノを弾きながらの歌の講座や合唱指導、講演やライブ等の活動中。2015年3月18日完成の映画「見えないから見えたもの」(盲目の教師、竹内昌彦先生の映画)挿入歌「点字のラブレター」や「ワルツ」を作曲。